
企業連携「『大館市 非核・平和都市宣言』に懸けた先人の思いに学ぶ」講座の2回目。今回は、宣言の取りまとめなど発起人として関わった伊藤治兵衛弁護士と、当時のことを良く知る石田寛氏を講師にお迎えし、対話をメインに学び語り合う講座を開催しました。
まず、講座の企画者である小林氏が前回の桂桜高校2年生の修学旅行に向けて行った事前学習の振り返りを行い、続いて『大館市 非核・平和都市宣言』についてお話されました。

宣言文は募集にて選ばれ、簡単な言葉で分かり易い表現になっています。“核を捨てよ兵器を捨てよ!!”という文は、武器を持たず、何も持たなければ戦争にならないという姿勢の表れで、大きな力を持っていると言えます。伊藤弁護士は、今でもおしゃれな文章であるため、歌にできないかなと話されていました。
続いて譽田氏が進行を務め、講師のおふたりから当時の話をお聞きしました。

〈「非核・平和都市宣言碑」建立までの経緯と建立への取り組み〉
40年程前に故鈴木謙三氏を代表とする「反戦、核兵器廃絶、平和都市宣言を大館市に求める会」が結成され、非核・平和都市宣言について話し合われました。伊藤弁護士は当時を振り返り、お金が集まるかという心配があったと話すが、多くの市民や団体が賛同し、署名や募金活動が積極的に展開され、昭和58年12月の定例市議会で「非核・平和都市」が宣言されました。その事実を残そうと宣言文が刻まれた記念碑を建てる活発な市民活動も行われ、昭和59年に建立されました。寄付金も集まり、多くの人の願いが込められて出来たことが分かります。
〈除幕式当日の様子やその後の反響〉
除幕式には100人を超える市民が集まり、盛大に行われた様子が当時の市の広報紙で紹介されました。
県内で市として初めてとなり、東北で3番目の宣言として注目されたこれらの活動及び実績は、いかに大館市民が真面目に平和について考えていたかが分かります。「碑」として形に残り、次世代に伝えていけることは素晴らしいことで、今は戦争経験者が少なくなっているため、「先人」が残して下さって良かったと講師は話されました。
〈当時について〉

この活動は戦後約30年に行われ、戦争のことはみんなが知っていたため、阻止しようという動きや反対はなかったといいます。なぜ1発の核で多くの人が死ななければならないのかという思いが強く、核廃止運動に力が入っていました。特に女性は子孫が戦争に巻き込まれないようにという本能のようなものが働いたのではと話します。
〈今後にむけて取り組みたいことや、今回の講座を受けた感想から〉


・将来の家族を守るという意識があればこれからの活動に繋がるのではないか。
・故鈴木謙三氏の教え子であったため、良いリーダーシップがあったとの言葉に嬉しさを感じた。
伊藤治兵衛弁護士は対談を終え、宣言した時の精神はどこに残っているのかと考えるが、ひとりで「平和主義だ」と言うのではなく、対話をし議論を進めることが大切だと振り返りました。時間がかかっても、同じ考えの人が出てきて繋がっていくことが出来たらと話します。
石田寛氏は平和教育が重要だと話します。桂桜高校生が広島に行って学んだことは、大塚先生の取り組みの賜物であり、周りも声を上げる必要があります。民主主義は声を上げることであり、風化と共に失いかねないため、今回の講座で対話ができて良かったと話されました。

核兵器の廃絶は、世界が真剣に取り組むべき最重要課題です。今回2回の講座を通して、大館市が核兵器廃絶を明確に宣言してできた記念碑を貴重な遺産として大事に受け継いでいることに誇りを持つだけではなく、平和教育の普及、平和活動の活発化に繋がることを期待しております。
以上、参加された方々の深い学びがありました。
⭐️受講者からの感想
・さまざまなお話をきけてとても良かったですが、宣言だけでは足りないのではないかと感じます。もっと具体的な行動を伴った活動が必要と思いました。
・恩師の鈴木謙三先生がリーダーをとっていたと知って驚きましたが尊敬できる先生に巡り会えて良かったと思っている。
・もっと互いに議論をすすめること→広まりを。心に残ったことです。